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今朝も生姜をおろし、梅干果肉と混ぜ、醤油を垂らしてから熱い番茶をかけて飲んでから出勤した。遅刻しても梅生番茶を欠かさない。一日二食。これが、三島にある沖ヨガ道場の半断食合宿から帰ってからの日課です。(遅刻したのは珍しいけど)。 半断食は水ばかり飲んで過ごす断食の反省からうまれたそうで、一日二回玄米少量食です。血糖値が下がり講義を聞いていると眠くてたまりませんが、ころあいになると軽い体操、生姜シップ 等ガが入って持ち直します。早朝の掃除後と昼食後には近所の山道を散歩します。 ぼくは人一倍食事が好きで、しかも食欲旺盛、鮨屋のおじさんには人気がありますが、体が心配だし、それにこれは煩悩の半分を占めるのでとても興味がありました。食べることは生きることですが、業(カルマ)でもあります。(半)断食は食を断って食を考えるチャンス、頭を空っぽに出来るんでしょうか? 國清講師は蓄膿症を治したくて、19歳の時沖ヨガ道場で23日間水断食をした後勉強を始め、35年の間に内外で5000人を指導した方です。講義では肉、魚、卵、砂糖などなどの毒と害をたっぷり教わります。蚊が刺すのも子犬が噛むのも、酸化した血液の箇所ですって(ぼくも噛まれたことがあります)。でも一切食べるな、ではないところが面白い。食べ方を自分で体と相談して決められるようになりなさい、過去の体験や知識は最終的には役に立たないことを実感してもらうのが合宿の目的です、とまず教わりました。 毒の作用と排泄方法も教わります。きれいな血を回すこと。今ノートを読み返してみると、欄外に「がに股を治すのは酸っぱい林檎だ。お母さんが肉、卵をとりすぎて生まれた」とか「赤血球を0.5%砂糖水に入れるとぱーっととける。塩水に入れると赤く輝く」、さらに「腹筋があるのは人間だけ、腹筋を付けると意志強く、判断力が増す」などと書き込みがあります。右と左、上と下、前と後ろで体の性質と病の作用が異なるとも。乳がんも肺がんも右と左では全く違う、治療法も異なると聞きました。腎臓は生まれた時大きかった右が、砂糖や酒などの陽性の毒を処理してすっかり萎縮し、死ぬ時は左より小さくなるそうです。 面白いお話が多かった中で、心に残ったのは國清先生の述懐です。 「若い頃は過去の知識と体験を総動員して治そうとした、重病人を治そうと思い上がっていた。何十人と臨終まで付き合った。結局その人の体に聞く、自分で判断したら間違える、わからないことがわかるようになった。生命は神様だ」 「毒を出せば体が変わる。体が変わればその時必要なものを求める。何をいつどれだけ食べれば良いか、なんて人に聞いてもわからない。本なんて読んでも無駄だ。体に聞くしかない。赤ちゃんと動物は間違わない。日常の食べ物を出来るところから一歩一歩変えていけば、少しずつ血がきれいになる。」 合宿の最後に診断をしてもらいます。調査票を手に、ひとりずつ顔を見ながら「とにかく動物性の摂りすぎだよ。悪いものたくさん食べてもたいした病気してないのは、お母さんからもらった体が良かったからだよ」(これぼくです)。 さて煩悩即菩薩、迷う所に悟りの入り口が隠れているはずだからと、一人合点して合宿に来たぼくにガツンと痛撃を食らわせてくれたのが冬の富士でした。 散歩から帰って来た仲間が口々に誉めそやすま白き霊峰を拝もうと、一人で裏の山道を登ること15分、頂には新興住宅地がありました。そこかしこにある洒落た2階建て、3階建てが視界をさえぎるので、町外れの小山を駆け上がったら、こは如何に、竹やぶで前がみえません。がっかりしましたが、講義の時間が迫るので、仕方なく、本当に仕方なくとぼとぼと往きの坂道を下りました。ふと、何気なく顔を上げたら、あったんですねえ。高く、横幅も50センチくらいの大きな富士山が。雪をかぶって晴天に白く堂々とそびえていました。さっきから、きっとあせるぼくの背中をじっと見ていたことでしょう。 そう思うと肩から力も抜けて、なるほど煩悩菩薩、脚下照顧、足元を見ようとはこのことか、いや足元ばかりでなく背中も見ようかな、と自分でもおかしみを感じました。本や知識の森の中を、どこかにあるはずの「正しい食事」を求めてさまよっていた自分の、その生きた体の中にこそ、毎日変わる答えが見つかると今回の合宿で知りました。それにつけても、半断食の食事の美味であったこと、ありがとうございました。
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