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〜指導講師からごあいさつ〜(以下、「ウイルスは恐くない」から抜粋)
生命維持に不可欠な塩分を、体(生命)はどうするのだろうか。酸素や水は体内に蓄積できないが、塩分は蓄積しているではないか。
人間の長い歴史から見ると、ほとんどが飢餓の歴史であり、何日も食べものがないというのが普通だったのだから、まず水が近くにあって、次に大切な塩分を、体は可能な限り備蓄するのは当然だ。塩分のみを備蓄しておく臓器も袋もない。ならば、いざという飢餓に備えて、体は塩分をどのように蓄積しているのか。塩分単独ではだめだから、蛋白質や脂肪と一緒に塩分を蓄積する以外にない。
肉、魚、卵など、塩分が含まれている食物を、胃や腸で完全に分解してしまったら、塩分も代謝して尿で出てしまう。塩分を備蓄しておくためには、塩分が含まれている食べものを、未分解のままで吸収して体内にためておく以外にない。それは、すなわち毒ではないか。そうすると、毒はたまたま蓄積したのではない。体は必要があって、毒をためていたということになる。生命が間違えるはずがない。無駄なことなどあるはずがない。体は塩分を毒として備蓄しているのだから、毒は毒ではない。
大昔のように、飢餓になって、塩分が外から補給されない事態となったら、その毒素を分解処理して、塩分を補うことになる。少なくとも、年に1度か2度襲ってくるであろう飢餓に備えて、体は塩分を備蓄しているのに、5年も10年も飢餓にならなかったら、古い塩分はもう役に立たない。簡単には代謝しなくなってしまう。玄米菜食をまじめに実行しても、塩分が十分に補給されていたら、古い塩分を含んだ毒素は代謝しないことになる。体内の毒素は、新しいものから代謝していくのだから、古い物ほど代謝が難しいのではないか。
以上のように考えてみますと、いろいろな問題が納得できるのです。
國清 拡史
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